believe(ビリーブ)

活動内容
ビリーブは、最愛のお子さまを見送られたご家族の支援にあたるチームです。チームのスタッフは、過去に子どもを亡くした母親たちです。ご自宅を訪ねたり、希望される場所でゆっくりとお話をうかがう活動をしています。どのようなお話をなさってもだいじょうぶです。秘密も守られます。

対象
お子さまを亡くされた方であれば、どなたでもご利用いただけます。基本的に小児科で亡くされた方が対象ですが、まだ独立されていないお子さまであれば、年齢の制限は設けていません。亡くなった経緯も限定しておらず、病気だけでなく事故で亡くされた方も対象にしています。地域は、大阪府とその近郊を、できるだけ広範囲に訪問しています。

費用
無料です。ビリーブは無償で活動していますので、依頼者にかかる費用はありません。交通費は、プロジェクトから(ご寄付から)支給されています。

名称の由来
「ビリーブ」という名前は、英語のbelieve(信じる)から生まれました。わたしたちが信じるのは、人のもつ回復するちからです。子どもを亡くすということは、受け止めきれないほどつらく苦しいことですが、わたしたちも、さまざまな支えや見守りのなか、自分に必要な時間をかけて、自分の足で立ち上がってきました。これから出会う方々も、回復のちからは、ご本人の内側にあるのだと思います。ただ、「あなたは一人ではない」ということが伝わるだけでも、このチームが存在する意味はあるかもしれないと考え、ビリーブは活動しています。

理念
「ビリーブ」のスタッフは、同じ思いを経験したもの同士だから、分かち合えることがあると信じて活動しています。また、安心して出会っていただけるように、そして出来る限りの支援ができるようにと、毎月の研修を重ねながら研鑽を積んでいきます。

依頼方法
訪問のご依頼は、事務局に電話でおねがいいたします。事務局のスタッフが承り、ビリーブの責任者が折り返し電話をさせていただきます。「安心して語り合える仲間がいれば」「じっと耳を傾けてくれる相手がいてくれるなら」そう思われた時、電話してください。ビリーブのケアは、無料で受けることができます。(※)医療従事者の方が、ビリーブのリーフレットをご遺族に渡していただける場合も、事務局にお電話くだされば病院にお送りいたします。(TSURUMIこどもホスピス:電話06-6991-9135 営業時間10時~17時 休日:火・水)

「ビリーブのじかん」が新たにはじまりました!
最愛のお子さまを見送られたご家族と、同じ経験をもつビリーブのメンバーが、美味しいお菓子と飲み物を楽しみながら友のように過ごすイベントです。毎月1回「TSURUMIこどもホスピス」内の「つるみカフェ」にて開催しています。


スタッフ紹介
わたしたちは、遺族支援チーム「ビリーブ」の、ボランティアスタッフです。全員、子どもを亡くした保護者で、心のケアに関する一定の研修を受けたスタッフです。友だちボランティアを略し、「友ボラ」と呼んでいます。友ボラは、お子さまを亡くされた方のお話を、ゆっくりと聴かせていただく活動をしています。大阪府近郊にお住まいのかたを、ご希望に応じて訪問させていただきます。以下は友だちボランティア(友ボラ)の自己紹介です。(五十音順)

金澤さん金澤 比呂美
私の一人むすめの瞳子(とうこ)は1998年に小学2年生で天使になりました。ほんとうに明るく元気な子で、私の手の届かないところに行ってしまうなんて、こころも身体も砕け散ってしまったようで、周囲の色が抜けてしまった毎日でした。私の場合は十分に悲しみを表現できなかったことが、毎日の辛さを大きくしていました。時間はかかりましたが同じ経験を持つ人たちと出会い、たくさんの涙を流しながら暖かい気持ちを取り戻しました。自分の感情を見つめ、むすめとの絆を再確認でき、貴重な出会いに感謝しています。悲しみはなくなりませんが、形は変っていきました。トゲトゲがいっぱいあって自分でもどうしようもない自分の悲しみが、今は少々カドとれて、なんとかもって運んだり、都合によってそっとよけておいたりできるようになったと思います。

誰にも話せない、どう伝えたらいいのか・・・なかなかすんなりと気持ちを話せることはないかもしれませんが、どうか傍にいさせてください。どんな気持ちも間違いではないと思っています。思いっきり泣くのもとても大事なことです。共に、時間をかけて、一歩ずつ歩んでいけたらと思います。

高下裕子高下 裕子(医療ソーシャルワーカー)
今から9年前、娘(11歳)は急性骨髄性白血病を発病し、辛い治療にも耐え最期まで諦めず頑張りましたが、小学6年生の夏に天へと旅立ってしまいました。愛するわが子を喪うことがこんなにも辛く苦しいものだとは思いもしませんでした。愛する妹を喪い、ひとりになった息子の苦しみも深いものでした。夢かと目が覚め、娘のいない現実に気が狂いそうになる。

もっと早く気づいてやっていたら・・・
自分を責め、娘をさがし求め、真っ暗やみのトンネルの中でもがき苦しんだ日々・・・
誰かにこの苦しみから救ってもらいたくて・・・

あれから9年たくさんの出逢いがあり、深い悲しみに寄り添ってくれた人たちがいてくれたから、ここまで来られたと思います。失ったものはあまりにも大きかったけれど、大切なことを教えてくれた娘は、わたしのなかで今も生きつづけています。わたしの子どもに生まれてきてくれたことを感謝し、今はソーシャルワーカーとして娘が出逢わせてくれた仲間と共に病院や家族会で活動しています。誰にも言えない思いを共にわかち合い共に歩めたらと思っております。

小橋さん小橋 千晶
私には、祐介(ユウスケ)と乙輝(イツキ)という、年子の二人の男の子がいます。乙輝とは、昭和60年3月9日に初めて出会い、2歳11ヶ月のときに急性リンパ性白血病を発症し、二度の再発、睾丸摘出、骨髄移植・・・そして、平成9年4月5日に天使になるまで、ほぼ12年間を共に過ごしてくれました。

共に過ごした時間より、いない時間の方がすっかり長くなりましたが、亡くしてからの数年は、我が子を見送るなんて、そんな理不尽なこと・・・
どこにいるの? もう一度逢いたい 触りたい・・・
何年たっても、体験した者にしか分からない気持ち、感覚は心の箱の中・・・

でも、笑顔を取り戻し、前を向いて歩いていけるように、あの子はたくさんの宝物を与えてくれ、ずっと見守ってくれています。そして、共に涙を流し、なかなか話すことの出来ない切ない気持ちを受け止めてくれる 同じ体験を持つ友人がいることは、安らぎを与えてくれると思うのです。今は、あの子の思い出がたくさん詰まった病棟で、闘病中の子供達と共にかけがえのない大切な時間を楽しく過ごそうと、遊びのボランティアもしています。

坂下坂下 裕子(子どもの遺族会「小さないのち」代表)
娘のあゆみは、1才になったときに空に還ってゆきました。原因は、当時名前も知らなかった急性脳症という病気です。発症から瞬く間の別れでした。なんで?なんで?と問い続け、やっぱり、ぜったい、諦められない!と思いました。あの子がいなくなったのに、まともに生きていけるわけがない、とも考えました。そんな私が、いつしかあゆみにまつわる役割を見つけ、充実した毎日を過ごすようになったのは、いろんな方の思いやりに支えられてのことです。中でも同じように子どもを亡くした親たちの存在は、とても大きなものでした。

何か話せば、「そうだよね」と共感してくれる仲間がいつもいました。思いを言葉にすることは、入り乱れた頭のなかを見えやすく整理していくだけでなく、わが子との絆をしっかりと結び直す作業だった、と実感しています。お話しを聴かせていただく側になった今は、お子さまを亡くされたご家族のお役に立てることが、わずかでもあればと思って暮らしています。ゆっくりと、いっしょに歩いていければ、と思っています。

篠原さん篠原 富美子
天国でふたりのこどもたちが、私をまっています。「ゆっくりでいいから、きっと会えるから」と笑顔でささやきます。こんな風に思えるまでどれくらい時間が過ぎたのでしょうか。過去を振り返り、現実に押しつぶされ、未来に不安をいだき、捜し求めた日々。何をしていても今日は終わり明日がやってくる。「誰か助けて」と回りを見ても誰もいない。話したい、聴いてと、もがき苦しみ、やっと出会えた仲間。ここから少しずつ止まったままの時計が動きだしました。毎日毎日「なぜ」と考え、答えがみつからないと嘆く日々から少し先を歩く人のそばで、安心をもらい前を向き始めました。私にもこどもとの記憶がある。私の心の中にある大切なもの。けっして無くならない確かなものをみつけました。私は今仕事にも復帰することができ、記憶と共に生きています。こんな私ですがあなたのそばに居させてください。

島岡さん島岡 やすこ
娘は大きな障がいをもって生まれてきました。いつ消えてもおかしくない娘の命をいつくしみながら、毎日毎日を大切に過ごしていました。辛いこともありましたが、本当に可愛くて・・・。最高に幸せな日々でした。2歳8か月で娘が天使になった時、世界がモノトーンに変わりました。こんなにも辛く痛い悲しみがあるなんて・・・初めて慟哭を味わいました。いつもの日常生活に戻っても、悲しみの小川はずっと心の奥で流れ続け・・・決してかれることはないと思っていました。10年以上たった今、“辛くて痛い”悲しみは、“優しくてあったかい”悲しみに変わってきています。色んな気持ちを受け入れながら・・・希望を探して歩んでいます。

中西さん中西 眞季(臨床心理士)
わたしには、空に大切なひとがふたりいます。ひとりは小さな時に交通事故で亡くなった妹・由三子、もうひとりは結婚7年目にやっと授かった一人娘・凜香です。小さな時から、亡くした子(妹)のきょうだい児として両親の悲しみにふれて育ってきましたが、まさか自分も娘を先立たせることになるとは・・。神様なんていないと思った時期もありました。娘は、先天性の染色体異常(13トリソミー)からくる心臓疾患により、NICUでケアをしていただき、生後22日で空へ旅立ちました。自分の中では、今までの世界が一変するほどの衝撃で、取り乱し、顔の形が変わる位まで泣き、祈り・・、そして、想いを共有できる仲間を見つけようともがきました。

ご縁があって、(喪った)状況は違うけれど、同じように最愛のわが子を喪うという悲しみを胸に抱いていらっしゃる方々とお会いし、想いを語り合うことで、少しずつ、自分の中の荒々しい痛みや悲しみとつきあえるようになってゆきました。もちろん、喪った悲しみからは、一生、乗り越えることも立ち直ることもできませんが、少しずつ、娘を大切にこころに抱いて、ともに生きてゆこうと思えるようになりました。

悲しみは一生続く・・けれど、お子さんを胸に抱いて、少しずつ、一緒に生きてゆけるようになってゆければ・・。愛しいお子さんのこと、どうかゆっくり教えてください。なみだ流れても優しい時間をともに過ごさせていただければ・・と、思います。

村上さん村上 早衣子
私の息子 崇仁(たかひと)は、重度障がいをもって生まれてきました。 1 歳のお誕生日を迎えることすら出来ないだろうと言われていましたが、9 年半、私たち家族のそばにいてくれました。崇仁が生きた9年半は、不自由な体で、決して幸せな時間ばかりではありませんでしたし、何より短い人生でしたが、たくさんの笑顔と私たち家族に大きな愛・そして学びを残していってくれました。崇仁と過ごした 9 年半と、崇仁とお別れした経験をもつ私だからこそお役に立てることがあれば、と思っております。

山本さん山本 貴美子 (臨床心理士)
私は、2000年7月、猛暑が続く夏休みに、19歳7ヶ月の息子を突然の交通事故で喪ってしまいました。友人の運転する車での、楽しい旅行中の事故でした。その瞬間から私の人生は一変し、すべてのシャッターを閉じてしまい、それから約2年間引きこもりの生活が続きました。想像を絶する現実を、頭ではなく身体が理解するのに、私の場合はその時間が必要だったのだろうと思います。その間は、からだが引きちぎられんばかりの、激しい痛みを伴う七転八倒の日々でした。自ら心を閉ざし、人に会うことを拒否している私でしたが、何とかして会いたいと思っている人がいました。子どもさんを亡くしても、今を生き抜いているお母さんとの出会いを、ジッと祈るように待っていました。

息子との突然の別れから15年余、息子が私の背中をしっかりと支え続けてくれていることを感じています。現在は、息子亡き後に目指した臨床心理士として働きながら、遺族の方へのサポートが今の私のライフワークとなっています。ビリーブメントケアチーム『ビリーブ』を通して出会う遺族の方は、どなたも“あの時の自分”であり、“あの時会いたかった人”です。そんな「同志」として、一歩一歩一緒に歩いていければという想いで『ビリーブ』活動をしています。


友ボラ募集
わたしたちと一緒に「友ボラ(友だちボランティア)」の活動をしませんか!

「友ボラ」の2つの条件
1.子どもを亡くしてから2年以上経過
2.毎月行う研修への参加

死別後2年以上とは
友ボラは、依頼者の気持ちと共にあることを大切にしています。お話を十分に聴き、言葉や沈黙に込められる思いをしっかりと受けとめるためには、「自分自身の悲しみを自分でもてる」ことが前提となります。自身の悲しみをもちながらも、悲しみのただ中にあるご遺族の気持ちを受けとめるまでに、最低2年間という時間が友ボラには必要と考えています。

ビリーブの研修について
ビリーブが行っている研修の多くは、友ボラ同士がお互いの体験を聴き、学びあう形態です。友ボラが、どのような体験を通してどのような感情を抱き、どのような行動をとってきたかをさまざまな角度から知ることは、本や座学だけでは得られない、貴重な学びとなるからです。このビリーブ独自の研修を、時間をかけ丁寧に行っています。ほかにもさまざまな研修を通して「自身のグリーフ」と向き合う覚悟を問われることになりますが、それが「友ボラ」には不可欠と考えています。

友ボラになっていただくための専門知識は問いません。研修を通して共に学びあいましょう。わたしたちと手をつないでくださる方からの連絡をお待ちしております。
事務局に電話をいただければ、チームリーダーからまずご連絡させていただきます。

ビリーブ連絡先
電話080-5772-6902 時間10時~17時