TSURUMI こどもホスピス TSURUMI こどもホスピス

HOME > CHP report – May「ご家族からの手記」

CHP report – May「ご家族からの手記」

2015.05.16 / こどものホスピスプロジェクト事務局注目記事

今回のレポートもご家族からお寄せいただいた手記をご紹介します。文中にある「神様、生命だけは助けて下さい」という言葉。これは、重い病気を持つ子どもの親であれば、1度ではなく何度も繰り返し願った言葉だと思います。そして、その願いさえ叶わない現実もあります。こうした手記を書く事は、どのご家族にとっても心に痛みが伴うとても大変な作業ですが、地域で支えるコミュニティー型のこどもホスピスが必要な理由を、少しでも多くの方に知っていただければ・・・との想いでご協力をいただいています。ご家族の願いが沢山の方に届くといいな・・・


ひろきは、人見知りがなく、誰とでも親しんでいく明るい性格で、2つ上のお兄ちゃんや友達と自転車を乗り回すわんぱく坊主!休日は、公園やキャンプへ出掛け、自然に触れ合う日々。2人の子供に恵まれ、これといって悩みのない穏やかな日常・・・ひろきが、大病を患ったのは、そんな日常に突然やってきた。

ひろきは4歳のお誕生日を前に、インフルエンザにかかった。

「早く自転車に乗りたいなぁ~」と、家での安静が退屈で、そう呟いていた。解熱後に、突然の痙攣発作。今まで、痙攣発作など、起こしたこともないのに・・・救急車で市民病院へ・・・この時は、まさか、ここから長く壮絶な闘病生活が始まるなんて思いもしなかった。すぐに、治まって帰れると思っていた。痙攣が止まらず、いろいろな検査が始まった。痙攣は治まるどころか勢いを増し、「ママ!」という言葉を残し、鎮静剤で眠らされた。ここから、1年10ヶ月もの間、寝かされることになり、現在もママと呼んでくれることはない。

病名は、急性脳炎の一種、難治頻回部分発作重積型脳炎(AERRPS)ーインフルエンザ後など感染症発症後に発症する免疫介在性脳炎で、原因は不明ーひろきは、命に関わる重篤な状態で、助かったとしても、重度障がいが残る…突然の宣告だった。受け入れたくないけれど、受け止めなくてはいけない現実。最愛の息子、愛おしくて、大切なひろきが生死をさまよいながらも頑張っているのを前に、ゆっくりとした時間なんてなかった。10年経った今でも、あの宣告された時の状況や、痙攣が酷く病室に響き渡る警報音は、深く脳裏に焼きついていて、鮮明に思い浮かんでしまう。

~障がいがあっても、命があれば、育てていこう!だから、神様、命だけは助けて下さい~

大きな『覚悟』だった。泣き崩れる間も、弱音を吐く時間もなかった。次の日、医療センター 救命救急センターへ搬送され、集中治療が始まった。命と脳を守る為に、4歳の小さな体は管だらけだった。たくさんの機械に囲まれ、沢山のドクター…救命救急センターはその名のとおり、生きるか死ぬかの切迫した病棟だった。重篤な状態から終わりの見えない毎日…不安だらけだった。
家には、まだ当時6歳の長男がいる。お見舞いに来ても会えない。突然、弟に会えなくなり、ママもそばに居ない。家では、涙は見せず、明るく振舞った。大きな『覚悟』をしたあの日から、後ろは振り向かない、泣き事を口にしない、そう決めていた…この10年間、そう自分に言い聞かせて突っ走ってきた。

奇跡的に命の危機を脱し、小児病棟へ移った。そこには、重篤な病と闘いながらも前を向いて頑張る子供たちや家族がいた。ひろきも私も友達ができた。普通なら、病気を完治させて退院するのだろうが、ひろきは、肢体不自由で難治なてんかん発作が重積する後遺症が残った。当初は、一生病院暮らしと言われていたけれど、病棟のドクターやママたちから、在宅医療の中で暮らしていく世界を知った。退院するまでに、たくさんの壁を乗り越えて、ひろきも私たち家族も、少しずつ、強くなっていった。退院するまでに1年10ヶ月の月日が経っていた。家には帰ったけれど、家で過ごすのは簡単なことではない。常にひろきが見えていないといけないし、入浴もご飯も、お着替えも、やらないといけないことは沢山ある。夜中も痰を吸引したり、薬の投与もある。赤ちゃんを育てている時のような感覚…それでも、家族が揃うことは幸せだった。落ちついた生活ができる。

我が家の決め事として、ひろきがいるから行けないとか出来ないとか言わない!というルールがある。たがら、外食やショッピングもどんどん積極的に出かけた。お兄ちゃんは野球のクラブチームにも入団した。パパもコーチとして、自分の楽しみを持つようになった。クラブチームは父兄の協力や参加が必須だ。チームの皆は、理解し協力してくれた。バギーを持ち上げてもらい河川敷で応援したり、うちわであおいでもらいながら、暑い夏も観戦を楽しんだり…そんな中で育ったお兄ちゃんは、ひろきを1番大切に想い、どこへでも連れてこい!と言ってくれる。高校球児となった今も、「来いよ!」と誘ってくれる。

ひろきは、退院して間もなく、支援学校に入学した。学校に行けるなんて思ってもいなかった。私自身、何も出来なくなってしまったのに、学校で何をするの?…と思っていた。学校では、小さなわずかな表情や表現も大切に、可能性を信じて、繰り返し、沢山の経験や挑戦をさせてもらった。今や、8年間の学校生活で、表情も出るようになり、ペースト食を楽しみ、大好きなジュースを必死に飲み干すまでになった。日々の訓練でからだも綺麗に大きく、強く成長した。そして、医療ケアの管もどんどん要らなくなっていった。

10年経って、やっと、ひろきだけではなく、障がいを持つ子どもたちやその家族へ視野が広がり始めた頃、いつも励まし、見守って下さっている主治医から、「こどものホスピス・プロジェクト」の活動を知った。ママは強いね!とよく言われるけれど、誰でも、はじめから強かったわけではなく、すぐに前をむけるわけでもない。ただただ、可愛い我が子の子育てを、『覚悟』を決めてやってきただけ。そんな中でも、ひろきが大きく体調を崩すと、10年前の不安だらけだったあの頃がフラッシュバックしてしまう。そんな時、上手は言わないけれど、そばにいてくれたり、話しを聞いてうなづいてくれたり、笑わせてくれたり、より沿ってくれる人がいれば、また、前をむいていける。今度できるハウスが、そんなあたたかい場所であったなら…そんなあたたかい人がいてくれたなら…と思いを膨らませています。